ベルリンの壁に描かれた絵は…
最近、食が細くなりました。
特に、マクドに行くとバーガー、ポテト類がお腹に入ろうとしてくれません。
もしかすると、マクドの食べ過ぎで体が拒否反応を示しているのかも知れません。
1週間昼夜14回の食事のうち、7回ぐらいはマクドです。
3回ぐらいはケバブ、残りはその土地の名物かパンです。
やばいです。
11月4日 ベルリン
ベルリン。ベルリンといえば…ベルリンの壁。
行くしかない。
その前に昼ごはん。
悠然と輝く「ドネルケバブ」の文字。
美しささえ感じるこの箱には、ケバブ肉とポテトが入っている。
通称「ドネルボックス」
かっこええ。
ついにケバブに挟む野菜すら食べなくなってしまった。
ふう。
お腹いっぱいになったところで、ベルリンの壁へ。
ベルリンの壁は、1961年に東ドイツによって西ベルリンの周囲を囲むように建設された壁のこと。
1989年の崩壊まで28年も分断された街。ベルリン。
ちなみに、ベルリンの壁が東西ドイツの国境の一部と思われがちですが、あくまでベルリンは東ドイツの首都で、西ベルリンは西ドイツの飛び地。
(引用 File:Germany location map.svg)
肌色が西ドイツ。灰色が東ドイツ、西ベルリンは右側の飛び地。
そんなベルリンの壁がこちら。
ベルリンの壁の大半は取り払われたものの、米ソ冷戦の象徴的遺産として、約1.3キロ分の壁は残された。
その壁には芸術家による壁絵が描かれている。
ちなみに、ヨーロッパではいたずら少年による落書きがとんでもないです。
地下道や、プラットホーム、はたまた電車の車両にも落書きだらけ。
だから、事前に壁に絵を描いておこうということだと思います。たぶん。
実際、芸術家の絵がない部分は普通に落書きされてました。
これとか結構好き。
こちらは有名な「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」
政治的なメッセージのある絵でしたが、実際見ると少々気持ち悪かったです。
ディープですし…
この絵が好きな方すいません。
ベルリンの壁を後にして、お次はチェックポイント・チャーリーへ
チェックポイント・チャーリーは冷戦期に東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれた検問所。
ベルリンの壁崩壊と共に検問所は取り壊されたが、近年になって復元されたらしい。
ちなみに、「国境検問所」と呼んでいたのは東ドイツであり、西ドイツは東西ベルリンの境界は国境ではないとして、「チェックポイント」と呼んでいた。
近くにはチェックポイント・チャーリー博物館があり、ベルリンでも有数の観光地になっている。
このエリアには、このように自由主義陣営(西ドイツ)のアメリカ、イギリス、フランスの国旗と、社会主義陣営(東ドイツ)のソ連の国旗が掲揚されている。
西ドイツは第二次世界大戦後、「経済の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げた。
一方、東ドイツは1970年以降不景気。
1979年の第二次オイルショックでさらに不景気が加速した。
ベルリンの壁は、西ベルリン(西ドイツ)を包囲したものではなく、東ベルリン(東ドイツ)市民の逃亡を防ぐためだった。
それでも、多くの東ベルリン市民が逃亡を図った。
ちなみに、ベルリンの壁崩壊の時にまだ生まれていなかったので、生まれてからずっとドイツは1つでした。
チェックポイント・チャーリーから地下鉄で移動し、博物館島エリアへ。
シュプレー川の中洲に、博物館・美術館が5つ集まっており、「博物館島」と呼ばれるこちら。
いくつかの博物館は現在工事中のよう。
今回は博物館には入らなかったが、周りは粛然たる雰囲気。
5つの博物館に入り放題のミュージアムパスもあるらしいです。
ただ、1日で5つはさすがにキツそう。
博物館島の近くにある、ベルリン大聖堂。
第二次世界大戦で被害を受けたこちらの大聖堂は1993年に修復され、現在の姿になっている。
ドイツといえば、ルター。プロテスタント。
こちらの大聖堂もルター派の礼拝を行なっているそう。
路上販売のホットドッグ。
シンプルだけど美味しい。
市庁舎前の広場で休憩していたら鳥が突然の襲来。
ゆうに1万鳥はいたのではないだろうか。
糞を落とされそう。
怖っ。
いい時間になってきたので、逃げるように地下鉄に乗り、夜ご飯を食べに行く。
CURRY36。
昨日と同じ場所にまた来てしまった。
そして、昨日と同じものを注文。
ソーセージにカレー粉とケチャップをかけただけの料理がここまで美味しいとは…。
ベルリンに行ったらおすすめの一品。
「カリーブルスト」
押してもらえるとランキングが上がります!
現在8位!
にほんブログ村