アザーンが轟く街のクリスマスイルミネーション
朝青龍を押し出したら1000万円にボブ・サップが参戦するらしいですね。
圧倒的に強く、荒々しい取り口も迫力満点。
横綱審議委員会とかいう誰でもなれる組織の人からは嫌われていたし、後輩横綱白鵬のヒール役っぽいことやらされていて、かわいそうだったなぁという記憶。
1人とて現役ではないのが悲しいですね。
こうやって見ると、安美錦ってすごいんだなぁ…
103場所ぶりに敢闘賞とかすげぇ。39歳。
12月15日 プリシュティナ
おーい。起きろー国境だぞー。
ただいまの時刻1時50分。
セルビアの首都ベオグラードを21時に出たバスは、願いとは裏腹にとっても順調に国境に到着したようです。
セルビアはコソボの独立を認めていないので、セルビアの人からしたら、コソボってなんなんですか?美味しいの?って感じ。
だから、国境のパスポートチェックではセルビアの出国スタンプは押されない。
逆にコソボは、ようこそコソボ共和国へ!スタンプバァン!と押される。
セルビアからコソボへは入国できるものの、コソボからセルビアに行くときは問題があるみたい。
コソボスタンプの上に無効と書かれたスタンプを押されたり、最悪の場合入国させてもらえなかったりするらしい。
そんな複雑な関係。
日本政府はコソボの独立を承認しているので、もちろん僕はコソボを独立国としてカウント。
晴れて26カ国目入国!
めでたしめでたし。では寝ますか…と寝ようとしたらプリシュティナ着。
予定より30分早い3時に到着。
真夜中のバスターミナルに放り出され、すごく寒い…
ひとまず、ベンチに荷物を起きぼーっとしていると、5度以下の寒さにも関わらず眠気が…
結局6時30分まで寝続けることに成功。
寝ようと思えばどこでも眠れるもんですね。
バスターミナルから宿までは2キロ離れていて、歩きかタクシーか。
若干迷ったが、歩いてのんびり宿へ向かうことに。
その前にコーヒーで体を温める。
コソボの通貨はユーロ。
コーヒー1杯1ユーロ(133円)。
通勤時間帯で非常に活気のあるプリシュティナの街をゆっくり歩く。
プリシュティナの街は、比較的新しい印象を受けた。
それもそのはずで、コソボは次の2月に独立から10年を迎える新しい国。
来年は節目の年になる。
街のメインストリートを抜け、30分ほどで宿に到着。
8時にも関わらず、ベッドまで案内してくれた。
しばらく睡眠して、体力回復。
早速、プリシュティナの観光へ!
どうでもいいですが、宿の近くにあるこの絵が頭の中から離れない。
見れば見るほど病みつきになる感じ誰か共感できそうな人はいますか?
ああ。夢に出てきそう。
そもそもどういった経緯があるか、調べてみた。
まず、コソボが独立を果たしたのは、昨日まで滞在していたセルビアから。
コソボは、セルビアの自治州だったのにも関わらずアルバニア人が大多数という状況でした。
その中で起きたのが、コソボのセルビア人優遇とアルバニア人冷遇。
セルビア人でなければいい仕事に就けなかったり、役所ではセルビア語でしか受け付けてもらえなかったり、政治に関わるのはセルビア人が占める。といったことがありました。
セルビア人優遇の中で、コソボに住むアルバニア人は不満を募らせていきました。
時勢が変わったのは1990年。
アルバニア人は独立を宣言し、1991年独立の是非を問う住民投票を実施。
99パーセントが「独立賛成」だったようです。
セルビア人はこの投票を無効とし、自治権を大幅に削り、軍隊を送り込みデモや集会を力づくで押さえ込もうとしました。
その中で、アルバニア人が不当に逮捕されたり、監禁、嫌がらせを受けるようになり、西ヨーロッパ諸国は重大な人権侵害の疑いがあると批判しました。
1997年になると、「コソボ解放軍」という武装組織がセルビア人や軍を襲撃する事件が起きるようになり、それに対応する形でセルビア軍による「弾圧」や「行きすぎた報復」が見られるようになりました。
2000人以上が死亡し、30万から40万人の避難民が出て国際問題に発展。
1999年、北大西洋条約機構(NATO)がアルバニア人の人権庇護を理由にユーゴ空爆を開始。78日間の空爆でセルビアは人的・物的に大きな被害を被った。
これが前回のブログで書いたセルビア人のNATO嫌いに繋がる。
daigakuseisekaiissyuu.hatenablog.jp
NATO軍、史上初の主権国家への武力行使となったが、これをきっかけに状況はますます混迷することになったほか、国連安全保障理事会の承認を受けていないことにロシア・中国が反発し、国際社会の足並みは乱れた。
ただ、結果だけ見ればコソボは独立を達成する事ができた。
アメリカ様のおかげで独立できた。
そんなコソボの感情は街に滲み出ている。
昨日のセルビアのご様子はこちら。↓
まぁここまで違うかというぐらいアメリカへの好感度が違います。
プリシュティナにある「NEW BORN」と書かれたモニュメント。
プリシュティナの大通りは、NATO軍が空爆を開始した時に、アメリカ合衆国大統領だったビル・クリントンにちなんだ名前。
銅像まで設置されています。
コソボを独立に導いたのは、アメリカの手助けがあってこそ。
その割に汚れているのが気になる。
銅像のお隣の衣類品店はヒラリー。
ビルクリントン通り沿いから見える巨大な大聖堂が、マザーテレサ大聖堂。
コソボのお隣の国マケドニアで生まれたマザーテレサに捧げられた大聖堂で、マザーテレサの生誕100年の日にあたる、2010年8月26日に献堂されたそう。
左側にある鐘楼は1ユーロで登る事ができるみたい。
中はこんな感じ。
非常に新しく綺麗な大聖堂。
鐘楼のてっぺんからの眺め。
かなり殺風景な感じ。
この奇抜な外観の建物は、国立図書館。
鐘楼を降りて実際に行ってみると…
なかなかのインパクト。
お隣は廃墟?になった教会。
再び街の中心部に戻り、お次は旧市街の方へ。
こちらのエリアは、バザールやモスクが立ち並び独特なイスラムの香りが充満する。
至近距離にモスクが立ち並び、1日5回の礼拝にはモスクからアザーンが流れる。
モスクを覗いてみるとちょうどお祈りが始まった。
多くのスピーカーを駆使して、街中がアザーンが轟く。
あたりはシーンと静まり、ムスリムはみな、メッカのカーバ神殿に向って祈る。
礼拝が終わったモスク。
人生で初めて、イスラム教の礼拝をまじまじと見た。
すごく神聖な時間であるとともに、信仰のパワーをひしひしと感じた。
そのあとは、宿に戻りしばし休憩。
宿はメインストリートに面していて、この時期はイルミネーションが素敵。
特に今日は金曜日ということもあり、かなり賑わっている。
モスクからアザーンが轟くすぐそばで、クリスマスのイルミネーション。
なんだか不思議な感じだ。
夜ご飯2ユーロ。どでかいパン付き。
すごく美味しい。
このレストラン、すごく美味しい肉料理なのに、ビールがない…
スーパーでビールを買い、宿で飲む。
ビールを飲んでいると、スペイン人のマルコスと仲良くなり、即席のスペイン語教室。
南米ではスペイン語が話せないと困る場面も多々あるので、非常にありがたい。
マルコス師匠は、発音から基本的な会話まで丁寧に押しえてくれた。
1時間30分ほどのスパルタ授業でスペイン語がかなり理解できた。
あとは、南米に行くまでに復習しよう。
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