サラエヴォは文明の十字路
ブエノスアイレスに行くのが年末年始ということで、早めに宿を予約しました。
南米では積極的に日本人宿に泊まっていろんな情報を聞いて、ワイワイしようと思っていたのに、気がつけば日本人宿ではないところを予約…
今までの旅で日本人宿に行ったのはバンコクのロングラックゲストハウスだけ。
最近、外国人と喋るより、日本人と話す方が緊張するという事態に陥ってます。
日本語も多少ぎこちない気がします…
こんな状態で、日本帰って就活とか無理。
面接で、あ、やばい……わわわワ………ワンケバブプリーズ。 って言って終わりそう。
これから1人旅される方は、適度に日本人宿に行くことを強くオススメします。
12月12日 モスタル
昨日、書き忘れたけどステファン宿では、宿泊者はキング、クイーンと呼ばれます。
あと、チェックイン前から名前を覚えてくれて、みんな家族だと言われます。
そしてびっくりなのは、キッチンで何か作って、フライパンとか食後のお皿を洗おうとしたら、止められます。(普通は洗え!と書いてあるし、書いてなくても洗うのが常識)
ステファンがするから。
いやいいよ!!自分が食べて汚れた皿だから…。
いや、ステファンに任せろ。君はキングダ。(ステファンは自分で自分のことをステファンと呼びます)
こんな感じ。
無料ビール。無料コーヒー。無料ティー。無料巻きタバコ。無料ランドリー。無料皿洗い。
どれだけホスピタリティーに溢れているんや…
今日はモスタルからボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォに移動する。
聞くと、バスより鉄道の方が安いらしい。
ただ、難点があって鉄道は1日2本で早朝と夕方。
イスタンブール・12/23が至上命題なので、かなり急いでいる。
迷わず早朝を選択。
鉄道は6時27分発らしく、6時に宿出発。
前日、朝出るねーと話していたら、ステファン起きてくれて、コーヒーを淹れてくれました。
ステファンの最後の言葉…
レビュー満点頼むわ。
どこまでもステファンらしい。
これでレビュー1点とか書いたら1日中凹みそう。もちろん10点にしましたよ。
早朝のモスタル駅。
1つしか空いてないカウンターでサラエヴォ行き購入。
最近ダイヤが変わって6時45分発になったみたい。
ちなみに、この駅1日10本も止まらないので本当にさみしい感じ。
電車は5分遅れの6時50分に入線し、なぜか1メートルも進まず30分経過。
7時20分発。
車内はめっちゃ綺麗で、まさかのwifiがある!!
パスワードは車内の電光掲示板にあり。
途中、雪が積もった山を左右にみながら、ゆっくり進んで行く。
ダイヤ通りなら、2時間ちょっとで着くはずが、10時25分に到着。
真吾さん、ミホさんの話では、先週までめっちゃ寒かったらしいが、今日はまさかの13度。
天気予報見ると、来週からまた寒くなるみたいで、最高気温が−1度らしい。
グッドタイミングみたい。
サラエボ駅の外観はこんな感じ。
無駄に立派。
駅前にそびえ立つタワー。
何もないところに、こんなタワーが建っている。
違和感がめちゃくちゃ仕事する…
駅を出て、お隣にあるバスターミナルへ直行。
明日、セルビアの首都ベオグラードに行く予定なので、チケットを購入。
非常に愛想がいい、おばちゃん。
これは噂に聞いていた通り、サラエヴォ=人がいいの図式が成り立ちそうだ。
チケットを確認し財布に納め、宿がある旧市街の方へ。
歩いて2キロ。
迷ったが、トラムも1.6兌換マルク(108円)なので乗ることに。
トラムの停留所の近くにある売店で買うと、1.6兌換マルク、運転手から直接買うと1.8兌換マルク。
ボロボロのトラム。
すごい音がする。
10分ほどで、最寄りの停留所着。
宿に到着すると、ベッドが空いているらしく、部屋まで案内してもらえた。
疲れていた&昨日のサッカーで筋肉痛で嬉しい。
少し寝てから、サラエヴォ観光へ!
第一次世界大戦の引き金となったオーストリア帝位継承者の暗殺事件の舞台。
この事件やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の影響か、サラエヴォ=何だか危ない街というイメージだが…
まず、宿からメインストリートに向かうと見えてくるのが、イエスの聖心大聖堂。
とても立派な大聖堂がメインストリートのど真ん中に鎮座しており、通りを行き交う多くの人々を見守っている。
今日の昼ごはん。
なんて名前の料理か忘れたけど、非常に美味しい。
1キログラムで〇〇マルクと表示されていて、お好みの量を注文するスタイルになっている。
種類も豊富で、今回は中に肉が入っているものを注文したが、すりつぶしたポテトが入っているのもあるようだ。
公園で何やら人が集まっているなぁと思っていたら、まさかのチェス。
足元に巨大な駒が…
絶対お金が絡んでいそうな感じやん。
サラエヴォは、ビザンツ帝国、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国によって統治されてきた歴史を持ち、キリスト教・イスラム教が入り乱れた文明の十字路。
歴史上、いくつもの大国の争奪戦の的となって翻弄されてきた過去を持つ。
1531年に建てられたガジ・フスレヴ=ベグ・モスクは美しいオスマン建築。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時は、モスクはボシュニャク人の象徴として、攻撃対象とされ、大きく損傷を受けたが、現在は修復された美しい姿を見ることができる。
歴史地区は、様々な文化が入り乱れており、歩くだけで楽しい雰囲気。
ヨーロッパに位置するが、ヨーロッパの歴史地区とはガラリと変わった街並みを見ることができる。
ここが、サラエヴォで有名なバシュチャルシア。
この広場を囲むように無数の商店や手工業者が並んでいる。
19世紀オーストリア=ハンガリー二重帝国は、サラエヴォをいわゆる「ヨーロッパの近代的な」街並みにしたかったそうで、現存する商店などは19世紀以前よりかなり減っているみたい。
街はボロボロの路面電車が走行中。
この橋がサラエヴォ事件の舞台。ラテン橋。
1914年にオーストリアの王位継承者がボスニア系セルビア人によって暗殺された。
この事件のあと、オーストリア=ハンガリー二重帝国は、セルビア政府を非難し、セルビア政府にとって受け入れがたい要求を含んだ最後通牒を突きつけた。
オーストリア政府は、セルビアが48時間以内に無条件で全条件を受け入れなければ宣戦布告をすることを通告。
セルビアは2点を除いて要求を受諾したが、オーストリア政府は無条件での受諾を求めた通告通り、宣戦を布告し第一次世界大戦が勃発した。
モニュメントはこれだけ。
街は、ところどころでボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の歴史を垣間見ることができる。
たった20数年前の出来事。
サラエヴォには、数ある歴史資料館・博物館があるが、今回は悟さん真吾さんにオススメしてもらった「WAR CHILDHOOD MUSEUM」へ。
学生料金 8兌換マルク(544円)
中は、英語のオーディオガイドにしたがって進んでいく。
ここでは、紛争時代に子供だった方々の「思い出の品」を展示している。
子供時代に「強烈なインパクト」を残しているものは誰にだったあると思う。
ここでは、「唯一の娯楽だったオーディオ」や「亡くなった母親からの手紙」「爆音を聞いたら、一目散に逃げるために使った自転車」などが並んでおり、その当時のエピソードが語られる。
紛争を違った視点から見つめるもの。
出版されている本は、日本語にも翻訳されているみたいです。
1時間20分ほどで見て回り、外に出るとすでに真っ暗。
噂に聞いていた通り、かなり面白い街だった。
明日の朝にここを離れてしまうのが非常に惜しい…
明日朝6時のバスなので今日は早めの21時就寝。
寝すぎ…
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